統治と行政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/08 14:25 UTC 版)
1275年のケント百戸土地台帳では地域社会の統治を目指して中世の騎士と官吏が領地の小分けを決め、ワームズヒルはエイホーン百戸に移された (Eyhorne)。この百戸は現在も (ワームズヒルを含む地域で) 存在するものの形骸化し、単なる中世の名残であって、実務あるいは統治の役割はすでに失っている。村は19世紀にはホリングボーン (Hollingbourne) 地方行政区の一部で、ビアステッド (Bearsted) 市長統括のエイルズフォード (Aylesford) に組み込まれ、貧民救助法 (地域の貧民の経済支援と運営の組織) の活動を実施する地域連合に加わっていた。四季裁判所の管掌上、ワームズヒル教区 (地方行政の単位) の一部は1814年まで西ケントと東ケントをまたいできた。地誌研究家エドワード・ヘイステッド (Edward Hasted) は1798年の著作に「教会の北へ向かってベドマントン市街までが東ケント、そのほかの地域は教会も村も西ケントである」と書き留めている。ところがこれは昔からミドウェー川 (River Medway) を挟んで「ケント人」(Men of Kent) と「ケント地方の人」(Kentish Men) を区別する住民の意識にそぐわない。ワームズヒルの村民はあくまで「ケント人」なのである。 1975年以来、ワームズヒルは一帯の自治体とともにノースダウンズの行政区画に含まれメードストンの市議会議員選挙に投票し、ノースダウンズの現職議員にはダフネ・パーヴィンを選出した。村はワームズヒルの住民をまとめる教区の中心であり、教区議長はサイモン・バス。イギリス議会議員の選挙区ではファバーシャム (Faversham)・中央ケント選挙区に属し、国会議員選挙では保守党のヒュー・ロバートソンを送り出した。また欧州議会選挙の選挙区では南東イギリスに入る。
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