統合後の歴史(1195年以降)
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「毘沙門堂」の記事における「統合後の歴史(1195年以降)」の解説
室町時代の応仁元年(1467年)、応仁の乱によって焼失するが、文明元年(1469年)には再建される。しかし、元亀2年(1571年)再び焼失した。 江戸時代初頭の慶長年間(1596年 - 1615年)に至り、天台宗の僧で徳川家康の側近であった天海によって復興が開始された。江戸幕府は山科の安祥寺(9世紀創建の真言宗寺院)の寺領の一部を出雲寺に与え、現在地に移転・復興される。天海没後はその弟子の公海が引き継ぎ、寛文5年(1665年)に完成した。また、毘沙門天を祀ることから出雲寺は毘沙門堂と呼ばれるようになった。 後西天皇皇子の公弁法親王(1669年 - 1716年)は当寺で受戒し、晩年には毘沙門堂に隠棲しているが、その際には父である後西天皇の死後に御所から勅使門、霊殿、宸殿を拝領し毘沙門堂に移築している。 以後、門跡寺院(皇族・貴族が住持を務める格式の高い寺院の称)となり、天台宗京都五門跡の一つ「毘沙門堂門跡」と称されるようになった。寺領は1,700石である。
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