統合後の歴史とは? わかりやすく解説

統合後の歴史(1195年以降)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 14:08 UTC 版)

毘沙門堂」の記事における「統合後の歴史(1195年以降)」の解説

室町時代応仁元年1467年)、応仁の乱によって焼失するが、文明元年1469年)には再建される。しかし、元亀2年1571年)再び焼失した江戸時代初頭慶長年間1596年 - 1615年)に至り天台宗の僧で徳川家康側近であった天海によって復興開始された。江戸幕府山科安祥寺9世紀創建真言宗寺院)の寺領一部出雲寺与え現在地移転復興される。天海没後はその弟子公海引き継ぎ寛文5年1665年)に完成したまた、毘沙門天祀ることから出雲寺毘沙門堂呼ばれるようになった後西天皇皇子公弁法親王1669年 - 1716年)は当寺受戒し晩年には毘沙門堂隠棲しているが、その際には父である後西天皇死後御所から勅使門霊殿、宸殿を拝領し毘沙門堂移築している。 以後門跡寺院皇族・貴族住持務め格式の高い寺院の称)となり、天台宗京都五門跡一つ毘沙門堂門跡」と称されるようになった寺領は1,700石である。

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