給油寄港便の減少
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 08:49 UTC 版)
「テッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港」の記事における「給油寄港便の減少」の解説
一方で、1972年に日本航空がシベリア運航ルートを開設し、さらに1976年にパンアメリカン航空が東京‐ニューヨーク直行便運航のために特注したボーイング747-SPが就航した。また、1980年代中頃に、ボーイング747-200Bやマクドネル・ダグラス DC-10-30ERなど新型機導入が進むと、日本とヨーロッパやアメリカ東海岸との直行便が次々と開設され、寄港便数は減り始めた。 さらに、1989年以降のソビエト連邦政府の外貨獲得政策により、シベリアルートが領空通航料収入拡大のため積極開放策に転じると、日本航空も航路をシベリア経由に変更し、アンカレッジ経由の北回りヨーロッパ線は1991年11月1日で廃止された。他の航空会社も同様の動きを取り、この政策はその後のロシア連邦政府にも引き継がれ、1990年代中盤には、アンカレッジに寄港する国際線旅客便は数えるほどとなった。
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