経営・人事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:27 UTC 版)
存続会社は勧銀だが、統一金融機関コードは第一銀行の0001を使用、看板には赤地に白のハートのマークを使い「ハートの銀行」と称していた。勧銀の流れを受けて宝くじを取り扱い、その関係から全都道府県に支店を有していた。当初の本店は現在の丸の内センタービルの位置に所在した旧第一銀行本店に置かれたが、1981年に千代田区内幸町の旧日本勧業銀行本店跡に本店ビル(現:みずほ銀行内幸町本部ビル)を新築し、移転した。 旧第一銀行は第二次大戦中に三井銀行と合併して帝国銀行となったものの、両行の業務・企業文化の違いから再分裂したという苦い経験を持っていた。このため、勧銀との合併以前に浮上した三菱銀行との統合計画は途上で白紙撤回され、非財閥系である勧銀との合併後もいわゆる「たすきがけ人事」や頭取の「順送り(第一・勧銀交互に選出)」が行われ、人事部も旧第一・旧勧銀で別々に置かれた。しかし、こういった人事は旧第一(D)・旧勧銀出身者(K)の対立を生んでしまって両者の融合が進まず、その収益性は富士・住友・三和・三菱などの他の上位都銀に比べると低いものであった。 一方、一勧以降の東京三菱銀行まで5件の都市銀行同士の合併と比較すると、いずれも合併コスト増大が資金調達コストの低減を上回っているのに対し、一勧は唯一コスト削減に成功しており、合併が効果的に働いていることがわかる。また、合併から20年を経た1991年3月期決算では、業務純益で都市銀行首位となったこともある。佐高信はバブル崩壊以降、都市銀行の不良債権問題に際し、「第一勧銀の不良債権比率が低いのは、旧行出身者による互いのチェック・アンド・バランスが働いているため」と分析しており、合併の評価は一様ではない。
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