筆坂事件から離党まで
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「日本共産党#離党と賞罰」も参照 参議院議員2期目の任期途中の2003年6月、セクシャルハラスメントを疑われたことをきっかけとして議員辞職。中央委員罷免、常任幹部会委員・幹部会委員など党の要職も解任された。ただし、刑事事件化していないこともあり、真相は不明となっている。 党中央は筆坂本人に対して弁明の機会を与えなかったため、処分はさまざまな臆測を呼ぶこととなる。後に筆坂は、『週刊新潮』や新潮新書の著書『日本共産党』の中でこの件について語っている。 「秘書と女性の三人でカラオケボックスに行き、その女性の同意を得てチークダンスを踊ったことやデュエットで腰に手をまわした。」「女性は楽しんでいるようだったので何故セクハラという訴えになったかよく分からない。」 (本人説明の要旨) 筆坂は著書において党の処分ははじめ「警告」にとどめることが決まっていたが、中央委員会総会で問題にするとの匿名ファクスに慌てた上級幹部らが覆し、議員辞職・党役職解任に至ったと主張している。 その後、中央委員会政策委員会に勤務員として復帰。機関誌『前衛』に「反省文」(後に本人は「反省文を書かざるを得なくなり下手に出た」との論調を取っている)とともに経済に関する論文を掲載するも2005年7月に日本共産党を離党した。 共産党側は、「この際に筆坂は反党的言動は取らない旨を党に対し行った」、「不破哲三に『なぜマスコミに自分の離党を伝えたのか。プライバシー侵害だ』と批判する電話をかけた」と主張している。
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