第2の哨戒 1943年10月 - 12月
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「シーホース (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1943年10月 - 12月」の解説
10月20日、シーホースは2回目の哨戒で東シナ海に向かった。10月29日から31日の間に、水上戦闘により3隻のトロール船と交戦した後、11月2日には種子島と都井岬に挟まれた海域で、佐伯からパラオに向かっていたオ112船団を発見した。このオ112船団には、すでに前日から僚艦トリガー (USS Trigger, SS-237) が追跡を続けており、2隻は深夜から攻撃を開始した。トリガーがでらごあ丸(日本郵船、7,148トン)と八幡丸(日之出汽船、1,852トン)を撃沈すると、シーホースも護衛艦による攻撃をかいくぐって、4時ごろにうめ丸(栃木汽船。5,859トン)を撃沈し、間髪入れず千早丸(拿捕船、元オランダ船チサロア、7,087トン)も撃沈した。このオ112船団は、後刻ハリバット (USS Halibut, SS-232) の攻撃により、さらに1隻の輸送船を失い、都合5隻の損害を出した。11月22日、シーホースは北緯33度41分 東経128度55分 / 北緯33.683度 東経128.917度 / 33.683; 128.917の地点で、3隻の護衛艦をやりすごした後に大洲丸(大同海運、3,323トン)に向けて4本の魚雷を発射し、命中させて撃沈した。11月26日にも五島列島宇久島北西約50キロ地点で221船団を発見し、対馬海峡に入る前に攻撃。11月27日に入った直後、タンカーさんらもん丸(三菱汽船、7,309トン)に向けて魚雷を発射し、1本が命中したが沈没する気配を見せなかったため、シーホースは約1時間後に再度攻撃。この2回目の攻撃でさんらもん丸は大爆発を起こし、沈没した。その後、11月30日から12月1日にかけても輸送船団を発見して攻撃し、4,800トンの貨物船の撃沈を報じたが、実際には魚雷が早期爆発を起こしたこともあって戦果は挙げられなかった。シーホースはこの攻撃で、全ての魚雷を使い果たした。12月12日、シーホースは53日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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