第2の哨戒 1943年10月 - 12月とは? わかりやすく解説

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第2の哨戒 1943年10月 - 12月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:38 UTC 版)

シーホース (潜水艦)」の記事における「第2の哨戒 1943年10月 - 12月」の解説

10月20日シーホース2回目の哨戒東シナ海向かった10月29日から31日の間に、水上戦闘により3隻のトロール船交戦した後、11月2日には種子島都井岬挟まれ海域で、佐伯からパラオ向かっていたオ112船団発見した。このオ112船団には、すでに前日から僚艦トリガー (USS Trigger, SS-237) が追跡続けており、2隻は深夜から攻撃開始したトリガーがでらごあ丸(日本郵船、7,148トン)と八幡丸日之出汽船、1,852トン)を撃沈すると、シーホース護衛艦による攻撃かいくぐって4時ごろにうめ丸(栃木汽船。5,859トン)を撃沈し間髪入れず千早丸(拿捕船、元オランダ船チサロア、7,087トン)も撃沈した。このオ112船団は、後刻ハリバット (USS Halibut, SS-232) の攻撃により、さらに1隻の輸送船失い都合5隻の損害出した11月22日シーホース北緯3341東経12855分 / 北緯33.683度 東経128.917度 / 33.683; 128.917の地点で、3隻の護衛艦をやりすごした後に大洲丸(大同海運、3,323トン)に向けて4本の魚雷発射し命中させて撃沈した11月26日にも五島列島宇久島北西50キロ地点221船団発見し対馬海峡に入る前に攻撃11月27日入った直後タンカーさんらもん丸三菱汽船、7,309トン)に向けて魚雷発射し、1本が命中した沈没する気配見せなかったため、シーホースは約1時間後に再度攻撃。この2回目攻撃さんらもん丸は大爆発起こし沈没したその後11月30日から12月1日かけても輸送船団発見して攻撃し、4,800トン貨物船撃沈報じたが、実際に魚雷早期爆発起こしたこともあって戦果挙げられなかった。シーホースはこの攻撃で、全ての魚雷使い果たした12月12日シーホース53日間行動終えて真珠湾帰投した。

※この「第2の哨戒 1943年10月 - 12月」の解説は、「シーホース (潜水艦)」の解説の一部です。
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