第1、第2の哨戒 1943年10月 - 1944年2月
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「クレヴァル (潜水艦)」の記事における「第1、第2の哨戒 1943年10月 - 1944年2月」の解説
10月27日、クレヴァルは最初の哨戒でスールー海および南シナ海に向かった。11月11日に750トン級の小型船を砲撃で破壊。11月15日、クレヴァルは.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯14度53分 東経119度56分 / 北緯14.883度 東経119.933度 / 14.883; 119.933の地点で陸軍輸送船旭光丸(山下汽船、6,783トン)を撃沈した。3日後の11月18日には空母と思しき艦艇を発見し、魚雷を発射した。クレヴァルはフリーマントルへの帰投途中の11月26日にも商船に対して攻撃した。12月7日、クレヴァルは49日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 12月30日、クレヴァルは2回目の哨戒で南シナ海およびインドシナ半島方面に向かった。1944年1月7日、クレヴァルは潜航中の日本海軍の潜水艦を発見して雷撃したが、魚雷が早期爆発を起こして攻撃は失敗した。2日後の1月9日には5トン程度のボートを砲撃で撃沈。1月14日から15日にかけては、サイゴン沖に機雷を敷設した。敷設後の1月26日には北緯08度30分 東経109度10分 / 北緯8.500度 東経109.167度 / 8.500; 109.167の地点で元特設砲艦武昌丸(南日本汽船、2,552トン)を撃沈した。2月11日に小型の監視艇を撃沈した後、2月15日には輸送船団を発見。数隻の目標に向けて雷撃を行った後、反撃から逃れるために深深度潜航で避退。攻撃の成果は確認できなかった。2月28日、クレヴァルは60日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。3月16日、艦長がフランシス・D・ウォーカー(アナポリス1935年組)に代わった。
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