第11の哨戒 1944年5月 - 7月とは? わかりやすく解説

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第11の哨戒 1944年5月 - 7月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/10 21:16 UTC 版)

スティングレイ (潜水艦)」の記事における「第11の哨戒 1944年5月 - 7月」の解説

5月26日スティングレイ11回目哨戒マリアナ諸島方面向かった。この哨戒救助配備任務費やされサイパンの戦い援護グアム攻撃する航空機部隊支援した6月11日スティングレイ墜落した海軍パイロット救助し翌日にはもう2名を救助した6月13日グアム沿岸から500ヤードの距離で海軍パイロット着水したとの知らせを受ける。スティングレイ救助駆けつけると、日本軍沿岸砲台が着水した海軍パイロット乗るいかだを狙い撃ちにしていた。スティングレイ船体両脇砲弾爆発する中、潜航し接近試みたスティングレイルーミス艦長潜望鏡を2本とも掲げそのうちの1本はいかだを係留するための索止め代わりとした。パイロットルーミス艦長アイデアになかなか気付かずスティングレイ3度接近した結果同じだった4度目接近の際、ルーミス艦長思い切って潜望鏡パイロット前に掲げ真意をようやく理解したパイロット潜望鏡捕まって安全に引かれていったパイロットは島から離れて安全になってから乗艦した。6月18日司令塔ハッチ近くの上構造火災発生する。炎は数回燃え上がったものの消火し最後に原因発見された。スティングレイその後哨戒続けた7月10日スティングレイ45日間行動終えてマジュロ帰投した。グアム沖での潜望鏡使ったパイロット救助に関してスティングレイルーミス艦長後年以下のように回想している。 われわれはいまでは合えば口を利く間柄だが、あの3回目接近失敗したときは、あの男便所掃除係にでもしてやらねば胸がおさまらないほどむかむかしたものだ。まったく人の苦労知らずに、のほほんとしているとしか考えられなかったからな — サム・C・ルーミス・ジュニア、C・W・ニミッツE・Bポッター/実松譲冨永謙吾共訳)『ニミッツ太平洋海戦史382ページ

※この「第11の哨戒 1944年5月 - 7月」の解説は、「スティングレイ (潜水艦)」の解説の一部です。
「第11の哨戒 1944年5月 - 7月」を含む「スティングレイ (潜水艦)」の記事については、「スティングレイ (潜水艦)」の概要を参照ください。

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