第11の哨戒 1944年5月 - 7月
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「スティングレイ (潜水艦)」の記事における「第11の哨戒 1944年5月 - 7月」の解説
5月26日、スティングレイは11回目の哨戒でマリアナ諸島方面に向かった。この哨戒は救助配備任務に費やされ、サイパンの戦いの援護でグアムを攻撃する航空機部隊を支援した。6月11日、スティングレイは墜落した海軍パイロットを救助し、翌日にはもう2名を救助した。6月13日、グアムの沿岸から500ヤードの距離で海軍パイロットが着水したとの知らせを受ける。スティングレイは救助に駆けつけると、日本軍の沿岸砲台が着水した海軍パイロットの乗るいかだを狙い撃ちにしていた。スティングレイは船体の両脇で砲弾が爆発する中、潜航して接近を試みた。スティングレイのルーミス艦長は潜望鏡を2本とも掲げ、そのうちの1本はいかだを係留するための索止め代わりとした。パイロットはルーミス艦長のアイデアになかなか気付かず、スティングレイは3度接近したが結果は同じだった。4度目の接近の際、ルーミス艦長は思い切って潜望鏡をパイロットの前に掲げ、真意をようやく理解したパイロットは潜望鏡に捕まって安全に引かれていった。パイロットは島から離れて安全になってから乗艦した。6月18日、司令塔ハッチ近くの上部構造で火災が発生する。炎は数回燃え上がったものの消火し、最後に原因が発見された。スティングレイはその後も哨戒を続けた。7月10日、スティングレイは45日間の行動を終えてマジュロに帰投した。グアム沖での潜望鏡を使ったパイロット救助に関して、スティングレイのルーミス艦長は後年以下のように回想している。 われわれはいまでは合えば口を利く間柄だが、あの3回目の接近が失敗したときは、あの男を便所掃除係にでもしてやらねば胸がおさまらないほどむかむかしたものだ。まったく人の苦労も知らずに、のほほんとしているとしか考えられなかったからな — サム・C・ルーミス・ジュニア、C・W・ニミッツ、E・B・ポッター/実松譲、冨永謙吾(共訳)『ニミッツの太平洋海戦史』382ページ
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