第1次アパッチプロレス軍
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「アパッチプロレス軍」の記事における「第1次アパッチプロレス軍」の解説
7月、金村キンタローがアパッチプロレス軍(アパッチプロレスぐん)を設立することを発表。8月30日、後楽園ホールで旗揚げ戦を開催。 2007年12月、所属選手と上層部の意見が対立して後楽園ホール大会の発表とチケット発売が大幅に遅れてしまい後楽園ホールから撤退せざるを得なくなる。 2008年2月18日、金村が参戦していた大日本プロレスの女性スタッフに猥褻行為を行っていた事件が公に発覚(詳しくは「金村キンタローによる事件」を参照)。話し合いの結果、2月22日の新木場1stRING大会をもって金村の無期限出場禁止(後に懲戒解雇処分)並びにアパッチの無期限活動自粛を発表。活動休止の間、4月17日に黒田哲広、5月16日に佐々木貴が自主興行を開催したが金村を擁護した折原昌夫が参戦していたため批判を浴びた。12月、運営会社「CF企画」が撤退したため年内の活動停止が発表されたが佐々木を中心とした新体制の下で活動を継続していくことを発表。 2009年1月16日、新体制の下で新木場1stRING大会を開催。5月22日、新木場1stRING大会の全試合終了後に金村がリングへ乱入して試合会場が混乱状態となる。これは全くアングルもなかったため不審者として試合会場からつまみ出される。また同興行に金村と共に佐藤耕平と橋本友彦が観戦していた。後に佐藤は所属しているプロレスリングZERO1から厳重注意されて謝罪コメントを出して橋本は週刊プロレスモバイルで金村と佐藤とは偶然居合わせたとコメントして謝罪。6月14日、小幡優作が退団。6月26日、新木場1stRING大会の試合開始直前に記者会見を行って「アパッチ」という名前を使うことが困難なため解散することを発表。8月8日、一関市総合体育館サブアリーナ大会を最後に解散。元所属選手の佐々木、GENTARO、葛西純、ジ・ウィンガー、神威はプロレスリングFREEDOMSを設立(怪我で療養中のマンモス佐々木は入団を保留したが後に入団)、黒田、BADBOY非道、Hi69はフリーに転向などとなった。
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第1次アパッチプロレス軍
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「金村キンタロー」の記事における「第1次アパッチプロレス軍」の解説
2004年8月30日、黒田哲広らと共に「アパッチプロレス軍」を旗揚げ。 2005年には長州力と対戦し敗れ、長州の軍門に下った。新日本プロレスにシリーズ参戦し、C.T.Uと過激な抗争を繰り広げメジャー系プロレスファンの憎悪を浴びていた。それにあたり、金村は「オレらみたいなチンピラ(リングに)上げている時点で新日本は終わりや!」、一部新聞のインタビューコーナーでインディーを批判した坂口征二新日本相談役に「アンタのリングで一番ヒートしているのはC.T.Uとアパッチの戦い。現場を見てから物言え。」などと新日本への批判を連発した。最終的にC.T.Uの抗争はアパッチプロレスのリングまでもつれ込み、4月14日のアパッチプロレス後楽園ホール大会で金村、黒田、非道vs邪道、外道、獣神サンダー・ライガーのストリートファイト6人タッグマッチで激突し、金村組が勝利することで幕を下ろした。 ハッスル出場時は、「HUSTLE 03」と書かれた赤い半そでのジャージを着て(ハッスル14から)入場し、ハッスルハードコアブラザーズとして、同じFMW出身で同世代の田中将斗、黒田と共に活躍している(このタッグは、ハッスルと大日本プロレスでしか見ることが出来ない、「激レア」モノと呼ばれている)。金村が出る試合では必ず金村の入場曲が流れて、その試合のタッグパートナーとブリブラダンスをする(大日本では、田中の登場曲になる場合もある。)。金村もハードコアを得意としているだけあって、高田モンスター軍には無類の強さを発揮するもチーム3Dとは何回か戦うが、未勝利であった。 2006年9月24日、冬木の創設したWEWヘビー級王座を懸けて真壁刀義と「ストリートファイト有刺鉄線バリケードマッドチェーンデスマッチ」で対戦するも敗北。11月18日に真壁に再挑戦するも、金村の完敗となった。 2007年4月のハッスルシリーズに金村似のマスクマンキンターマンが登場、黒田哲広似のクロダーマン、ケビン・ランデルマン似のランデルマンと組んで参戦し、モンスター軍に雇ってもらえるよう頼むも、あっさり拒否された。 2007年6月24日真壁を破りWEWヘビー王座を奪還するも、7月29日に開催された初防衛戦で矢野通に敗北しベルトを失っている。それからは怪我もあり、対新日本から一歩引き大日本では小幡優作のアシストに回る。
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