第十巻とは? わかりやすく解説

第十巻

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/24 15:44 UTC 版)

三国志後伝」の記事における「第十巻」の解説

第百十五回から第百三十回まで。 劉曜陳安破り、殺す。劉曜張茂戦い石虎前趙攻めたため、張茂恭順受け入れて引き返す東晋では王導元帝王敦反乱起こした罪を謝し王敦石頭城を奪うと、建康落とし元帝拘束して元帝腹心たちを殺害する王敦武昌戻り元帝崩御して、子の司馬紹明帝)が即位した。 成では、李雄寧州攻めるが敗北するまた、仇池攻めるが敗戦となる。李雄病死し、兄の子李班即位する東晋では、王敦によって周周氏滅ぼされ明帝王敦討伐決意し温嶠王敦騙してその内情を伺う。明帝温嶠報告聞いて陶侃蘇峻らと王敦討伐兵を挙げ勝利する王敦は己の死を予言した郭璞処刑するが、その通り死去する明帝王敦兄・王含と戦い勝利を重ねる。鎮圧後陶侃荊州刺史となり、善政布く明帝崩御し、子の司馬衍成帝)が即位した石勒は、石虎命じて山東曹嶷攻めて捕らえて処刑するまた、石生命じて滎陽李矩攻める。李矩劉曜援軍求め、劉岳に救援命じる。姜発がこれを諫めるが、聴かれなかったため、劉曜の元を去る。劉岳は石生を破るが、石生助けに来た石虎破られる劉曜は自ら、劉岳を助け出陣する。石虎劉曜破り、劉岳を捕らえ滎陽を奪う。李矩敗走中に死ぬ。石勒参謀である張賓病死した。 劉曜後趙攻め石虎勝利し滎陽奪い取る続いて涼州では張茂の子である張駿自立したため、子の劉胤攻めさせ、その恭順受け入れる。 東晋では、成帝の舅である庾亮政治司る。その不満から、蘇峻祖逖の弟・祖約反乱を起こす蘇峻東晋の都・建康落とし成帝王導捕らえられ庾亮逃亡する蘇峻百官虐待し人心を失う。温嶠陶侃庾亮蘇峻討伐兵を挙げる蘇峻次第追い詰められ戦死する祖約後趙逃亡し成帝王導助かり温嶠陶侃庾亮たちは功績あわせて恩賞くだされる

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第十巻

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 14:25 UTC 版)

信長のシェフ」の記事における「第十巻」の解説

元亀4年1573年)、信長の命によるケンスッポン料理義昭独断改元した元号元亀」と掛けてあった)に激怒した足利義昭挙兵信長兼ねてより岡部又右衛門指揮の下で建造させていた大型船用いた迅速な行動逆に義昭勢を包囲。ここに室町幕府滅亡する

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