第二次国共合作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 09:20 UTC 版)
西安事件後を契機に壊滅寸前の共産党は、コミンテルンの方針もあり、国民党との合作に活路を見つけようとした。しかしながら、国民党内の共産党不信は根強く、合作に向けた交渉は捗らなかった。それに対し、北京での盧溝橋事件と第二次上海事変に至る上海で続いた日本軍との軍事的衝突の矢面に立たされた蔣介石国民政府は、ソ連との中ソ不可侵条約締結と共産党の合法化による共産主義勢力との連携で難局の打開を試みた。
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