秋葉市政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 02:23 UTC 版)
「ヒロシマ・オリンピック構想」の記事における「秋葉市政」の解説
詳細は「秋葉忠利#広島市長時代」を参照 1999年、社会民主党(旧日本社会党)衆議院議員から出馬し、広島市長に就任した秋葉は、一貫して積極的な反核および平和活動を行ってきた。 バラク・オバマ大統領がプラハでの核兵器廃絶に向けた演説を行った事に賛同した「オバマジョリティ(Obamajority)」キャンペーンや、広島平和記念資料館の展示内容を見直す検討委員会に中国人および韓国人らアジア出身の委員を起用、「折鶴ミュージアム」建設推進など、世界に向けてアピールを行い、結果2010年にはマグサイサイ賞を受賞するなど対外的に評価された。 こうした平和活動が市民に評価されたことに加え、市長選では対抗馬となる自民党側は有力な候補者を擁立できなかったこともあり、3期12年に渡り市政を担ってきた。 ただ、秋葉のトップダウン型の市政に対し広島市議会は反対側に回ることが多く衝突が絶えなかったため両者の関係が悪化し、広島西飛行場にまつわる諸問題や広島港を含めた宇品出島地区開発をめぐる論争などの結果藤田雄山広島県知事および広島県庁との関係も悪化していた。
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