祈りと行(ぎょう)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 04:38 UTC 版)
東京明治大学在学中に、宗教家で「道会」会長松村介石の知遇を得、彼の「祈り」「修行」の詩吟は更に研ぎ澄まされ、国民の絶大な支持を受けてラジオ放送やレコード吹き込みでも活躍、介石の熱のこもった講演のあい間に積善が詩を吟じ、国民の心を覚醒させる講演会が相当の期間続いた。ジャーナリストで歴史家政治家でもある徳富蘇峰からも大変な信頼を受け、蘇峰の講演にも付き添って詩を吟じた。 積善は同志社中学に席を置いたためか新島襄を生涯敬愛しており、蘇峰も同志社の先輩であり、松村介石は初め儒学を学んだがキリスト教の洗礼を受け、王陽明にも傾倒、のちにキリスト教、儒教、老荘思想、日本古来の思想等を融合し、特定の宗教に偏らない儒教的キリスト教を説く「日本教会」を設立した宗教家である。日本教会はその後「道会(どうかい)」と改められ現在に至っている。 僧門に生まれながらもこのようなキリスト者の薫陶も受け、「祈り・修行」の詩吟に裏うちされた、彼のゆるぎない人生哲学は確立された。
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