石化伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 19:12 UTC 版)
より後の時代にはこの女性が悲しみのあまりに石と化したとい伝えられるようになった。佐用姫石化伝説の初見は室町時代、梵灯庵の 「袖下集」(応永頃)との考証がある。また、石化伝説のきっかけは、『十訓抄』(13世紀)にこの佐用姫伝説を紹介しているおり「望夫石」の故事も併記しているため、あやまって合成されてしたものと考察されている。時代は下るが、『日本名女物語』(寛文10/1670年)にも石化伝説がみえる 。 また、じっさいには本土にとどまるにおさまらず、夫の舟を追って小舟で対岸の加部島(現唐津市呼子町内)にいき、天童岳で七日七晩泣きはらした末に石になってしまったとされ、その「松浦の望夫石」とされるものは、田島神社の末社である佐用姫神社に移され祀られるという。おおよその内容を示した当社の縁起が、19世紀初頭『松浦古文書』(文化年間)にみられるが、これによれば、佐用姫は領巾麾(ひれふり)の山頂からさらに移動してある場所で船を追おうとしてある島をみとがめ、釣り船に乗ってその「姫神島」(現今の加部島)にいき、島の「小高き所」に上って、そこで悲しみのあまり石と化したとされる。その小高い所とはすなわち天童岳(伝登岳)、別名「田島嶽」であると解説される。
※この「石化伝説」の解説は、「松浦佐用姫」の解説の一部です。
「石化伝説」を含む「松浦佐用姫」の記事については、「松浦佐用姫」の概要を参照ください。
- 石化伝説のページへのリンク