真田氏の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 22:25 UTC 版)
真田氏は吾妻地方への進出をねらい、岩櫃城を攻略した。その後、上野国北部の利根郡に位置する沼田城(沼田市)・名胡桃城(みなかみ町)と、信濃国の上田城とを繋ぐルート上の重要拠点として岩櫃城の大改造を行った。 城域は広く、その中を沼田と上田を結ぶ街道を通してある。中心部の曲輪から放射状に壕が整備される特殊な構造で、周囲に出丸、番城、砦を配してあった。 真田昌幸の時代、天正10年(1582年)に、織田信長・徳川家康勢に攻められて主家武田勝頼が劣勢となると、真田昌幸は武田勝頼を岩櫃城へ迎え入れて武田家の巻き返しを図ろうとした。しかしこれはかなわず、武田家は滅亡している。 その後、真田昌幸は岩櫃城を嫡男の真田信幸(真田信之)に委ねた。真田家当主となった真田信之は、慶長19年(1614年)に岩櫃城を破却した。以後は原町(現在の東吾妻町原町)に陣屋を置いて一帯を統べた。
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