皇道義会東京東武館
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石井が北辰一刀流剣術の道場水戸東武館の出身であったことから、道場名は「皇道義会東京東武館」と名付けられた。顧問に高野佐三郎、中山博道、名誉師範に斎村五郎、持田盛二、大島治喜太ほか当時の有名な剣道家が名を連ねたという。実際に指導に当たったのは、初代師範・市毛正平(内藤高治の甥)であった。市毛没後、第2代師範を小澤豊吉(元水戸東武館第3代館長)が務めた。後に薙刀部も設けられ、直心影流薙刀術の園部秀雄が師範となった。 皇道義会が春秋2回開催した「皇道義会武道大会」は、武徳祭大演武会や済寧館剣道大会に次ぐ規模と権威を持ち、1933年(昭和8年)にはラジオ中継されたという。しかし、第二次世界大戦により戦地に赴く者が増え、道場で稽古する者も次第に減っていき、武道大会も1943年(昭和18年)が最後となった。 主な門人、小室等、青木秀男、柳沼鉄水、谷島三郎
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