男性2人組から男女3人組になった経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 09:45 UTC 版)
「いきものがかり」の記事における「男性2人組から男女3人組になった経緯」の解説
水野と山下が路上ライブを始めた1999年は、ストリートミュージシャン出身で地元が同じ神奈川県であるゆずが本格的にブレイクした直後で、地元で沸き起こったゆずブームに乗る形で彼らもいきものがかりを結成した。当初は水野と山下の男2人で活動していたが、次第に自分たちのような路上ライブでゆずのカバーを行っている男性2人組のグループばかりが増えていったため、「同じことやってもつまらない」と感じるようになる。そのような状況に限界を感じていた2人は「みんな男2人で女性も少ないし男女混合のグループはあまりいないから、真ん中で女の子が歌って自分たちがその後ろでギターを弾けば、今は女子高生しか集まらないのが男子高生やお父さんお母さんも来てくれるようになるのではないか」と漠然と考えるようになった。ちょうどその頃、別口で椎名林檎のコピーバンドをやるために女性ボーカルを探していた水野は、バンド仲間の1人だった同級生から妹である吉岡を紹介され、そこで好感触を得た水野は吉岡をいきものがかりに入れることを山下に提案する。吉岡自身ももともと路上ライブに興味を持っていたこともあり、当時2人が相模大野駅前で行っていたライブに飛び入り参加したことがきっかけで、そのまま加入することとなった。 後に山下はこのことについて「自分ら(男子メンバー)で歌うってことにこだわりがなかったし、やっぱりちゃんと歌える人が歌ったほうが良いと思っていた」と述べている。
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