産業・人口構造の変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 14:34 UTC 版)
1958年、音羽町は「音羽町の建設計画・調整計画」を策定し、農業経営の合理化によって生じた余剰労働力を第二次・第三次産業に振り向ける方針を明らかにした。 1960年、町議会は「音羽町工場設置奨励条例」を制定し、翌年東海理化電機製作所の工場誘致に成功した。1966年に操業を開始した同社の音羽工場は、雇用・財政の両面で町を大いに潤した。 1986年、東名高速道路音羽蒲郡インターチェンジと音羽蒲郡有料道路が開通した。利用台数は年々増加を続け、2000年度には音羽蒲郡ICが5,974,267台(1日平均16,368台)、音羽蒲郡有料道路が1,736,305台(1日平均4,757台)を記録した。 1970年代前半に「三河赤坂台団地」をはじめとする住宅団地を造成したことにより、町の人口は大きく増加したが、1983年の8,537人を境に漸減した。1990年代に入ると、住宅団地「グリーンヒル音羽」「サンヒル赤坂」造成後の1998年に再び増加に転じ、音羽町最後の年度である2007年度に9,000人を達成した。
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