生物学と動物学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 22:06 UTC 版)
「アリスター・ハーディ」の記事における「生物学と動物学」の解説
ハーディはパブリックスクールのオンドル校を卒業した後、オックスフォード大学のジュリアン・ハクスリーの元で動物学を学んだ。1925年から1927年まで、ディスカバリー調査隊の一員としてRSSディスカバリー号に乗船し南極の探検航海に参加した。動物プランクトンと捕食者の関係の研究を通して、彼はクジラのような海棲ほ乳類の専門家となった。ディスカバリー航海の間に彼は「連続プランクトン採集機(CPR)」と呼ばれる装置を設計し後に組み立てた。CPRはプランクトンを採集し、絹でできた可動バンドに集め、ホルマリンで保存する。プランクトンの分布に関する彼の先進的な研究は、現在でもアリスター・ハーディ卿海洋科学財団(SAHFOS)によって継続されている。 ハーディは1928年から1942年までハル大学の初代動物学教授を務めた。1942年にアバディーン大学の自然史教授に指名され、1946年にオックスフォード大学の動物学リナカー教授に就任するまで在職した。オックスフォード大学は1961年に定年退職した。1940年にロンドン王立協会の会員に選出され、1957年にナイトに叙された。 1930年にウッド・ジョーンズの『ほ乳類の中の人間の位置』を読んでいるときに、人間がなぜ、他の全ての陸棲ほ乳類と異なり皮膚に脂肪を蓄積しているのかを疑問に思い、ハーディはこの形質が海棲ほ乳類の脂肪層のようだと気付いた。そしてより水棲的な祖先を持っていたからではないかと疑い始めた。この急進的な説は反対を恐れて1960年まで隠されていた。この説はアクア説と呼ばれている。
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