生活再建へとは? わかりやすく解説

生活再建へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/23 01:00 UTC 版)

灰塚ダム」の記事における「生活再建へ」の解説

1988年昭和63年)に「生活再建地事業の基本方針」が住民提案され、翌1989年平成元年)に事業発足した。これは三良坂町灰塚生活再建地(のぞみが丘)、吉舎町安田生活再建地(ひまわり)、総領町に稲草生再建地(田総の里)を建設して水没住民集団移転させるという大造計画である。1991年平成3年)には水源地域対策特別措置法水特法)の対象となり、灰塚ダム水没戸数面積が特に大きいことから補償金額のかさ上げや生活再建への優遇措置図られる「法九条指定ダム」に指定された。こうしたソフト&ハード整備により、1992年平成4年11月24日に「同盟会」との補償交渉妥結した1993年平成5年)にのぞみが丘開村が行われ、翌1994年平成6年)までにひまわり・田総の里も完成湖畔三箇所の代替住宅地整備された。水没戸数332戸の内、のぞみが丘142戸、ひまわり13戸、田総の里に39戸、その他13戸と合計207戸がダム周辺定住し新生活第一歩踏み出した最大代替地であるのぞみが丘には小学校寺社移転したが、地元で「えみきのじいさん」と呼ばれる樹齢500年にもなるムクノキ一緒に移植された。 最後まで交渉難航した江の川漁業協同組合田総川漁業協同組合による漁業権補償1999年平成11年妥結し2001年平成13年)より本体工事開始され試験湛水経て2006年平成18年11月18日に全事業竣工計画発表から41年に及ぶダム事業長い歴史完結した竣工式には地権者240名も参加している。

※この「生活再建へ」の解説は、「灰塚ダム」の解説の一部です。
「生活再建へ」を含む「灰塚ダム」の記事については、「灰塚ダム」の概要を参照ください。

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