琉球側からの意見聴取
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 23:47 UTC 版)
「薩摩藩の長崎商法」の記事における「琉球側からの意見聴取」の解説
長崎商法の停止命令を受け取った薩摩藩は、当然ながら幕府側に再考を求めていく。そのような中で薩摩藩は天保7年(1836年)11月、幕府からの命令もあって琉球の意見を聴取した。薩摩藩の思惑としては琉球から長崎商法の継続を求める声を挙げてもらって、幕府に再考を迫ることになった。琉球王府は直近に渡唐役者を勤めた22名に意見聴取した。ところが、16品目の購入代金が高額であるため、渡唐役者のみでは必要な分の調達が出来ず、他の船の乗員たちの協力を仰いで何とか確保していて、皆、身分不相応の借金までして貿易を行っている現状であること。そして中国へ輸出する品目の価格は下落していて、一方では輸入品の価格は上昇しており、見込みを誤る者も出てきていて、中でも16品目は中国側に必ず購入することが知れ渡ってしまっており、特に激しく値上がりしていると指摘した。結論として長崎商法を止めれば皆、見込みを持って売れることが見込める商品を購入できるようになるので、止めたところで何も困りはしないとの回答であった。 薩摩藩側のもくろみは外れた形になったが、もちろん藩側はそのまま幕府に報告を行った訳ではない。天保8年(1837年)3月の幕府への報告では、琉球国王から長崎商法の停止命令は国の興廃に関わるので、何とか継続して欲しいとの要請があったとしており、また別の書きつけの中では、清への朝貢、薩摩への年貢納入、そして国民に対する扶助も困難となり、社会全体の雰囲気が悪化し、抜荷に走る者も増加するのではないかとの訴えがあったとしている。前述の意見聴取の内容から判断すると、琉球の生の声を薩摩藩側は無視する形で幕府への報告を行ったと考えられる。
※この「琉球側からの意見聴取」の解説は、「薩摩藩の長崎商法」の解説の一部です。
「琉球側からの意見聴取」を含む「薩摩藩の長崎商法」の記事については、「薩摩藩の長崎商法」の概要を参照ください。
- 琉球側からの意見聴取のページへのリンク