琉球処分以後とは? わかりやすく解説

琉球処分以後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 13:44 UTC 版)

首里城」の記事における「琉球処分以後」の解説

1879年明治12年)の沖縄県設置に至る琉球処分以後は、正殿など首里城建物政府所在地としての役割喪失し日本陸軍第6師団熊本)の軍営として、その後首里区(後の首里市)に払い下げられ沖縄県立首里高等女学校首里尋常高等小学校女子部沖縄県女子工芸学校)の校舎として利用された。 1912年小学校建てられた後、首里城老朽化激しく荒廃した正殿倒壊の危険があるとして1923年には正殿取り壊し検討された。しかし、沖縄文化調査行っていた東京帝国大学教授伊東忠太鎌倉芳太郎関係者奔走より取り壊し中止となり、1897年制定古社寺保存法対象になるよう、正殿背後沖縄神社建立し正殿神社拝殿位置付けることで国の予算修復できるよう取りはからった1929年国宝保存法制定される国宝指定されて国に保存されることとなった正殿県社沖縄神社社殿となり源為朝歴代国王祀られた(源為朝琉球逃れその子初代琉球王舜天になったという説がある)。

※この「琉球処分以後」の解説は、「首里城」の解説の一部です。
「琉球処分以後」を含む「首里城」の記事については、「首里城」の概要を参照ください。

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