琉球の「内的発展論」に対する反論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 17:07 UTC 版)
「グスク時代」の記事における「琉球の「内的発展論」に対する反論」の解説
當眞嗣一は、貝塚時代後期より琉球の内部で独自の発展を遂げて、琉球王国を成立させたとする、安里進の「内的発展論」を支持していない。この「内的発展論」は、安里をはじめとする他の考古学者や、研究結果を受け入れた沖縄県民にも浸透している。當眞は滑石製石鍋やカムィヤキ、中国産の陶磁器の分布に着目し、琉球の人々が意欲的に交易したのではなく、琉球の外部から訪れた商人が品物を供給した、という外的な影響により発展したのではないかと考えている。また、高梨修は奄美群島の遺跡を調査し、沖縄諸島よりも先行して奄美から社会的変化が起こったとし、これを踏まえて高梨は、日本側からの働きかけにより、グスク時代における文化は形成されたと述べている。當眞は、14世紀頃に琉球と現在の中国・福建省との交流が盛んになり、その後の15世紀頃には明朝と関係を深めた政治的勢力が沖縄本島に出現し、彼らが琉球国家を形成したとしている。
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