現存の確認状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 01:34 UTC 版)
大平元寳が発掘調査で見つかった事例は報告されておらず、大正時代には某家、昭和3年(1928年)に唐招提寺で宝蔵から発見され伝わる2品が現存していた。3品が伝存するとする説もある。現在はその2品の拓本が伝わるのみで、現品は行方不明となっている。しかし拓本によれば銭文は何れも『続日本紀』に記された「大平元寳」ではなく「太平元寳」と表記されており、贋物説がある。一方で「大平」は「太平」と同じく天下太平を表す吉語であり、淳仁天皇の治世が太平であることを願ったものともされる。 2004年に出版された文献には、享保20年(1735年)、近衛家出入の摂津大坂の表具師、大友長門正峯が、近衛家から預かった大型佛画修理のため下軸を外したところ二枚の銀銭が出現し、表具完了と共に銀銭2枚を近衛公に持参した処、正直者よと褒められ1枚を下賜されたと伝わる大平元寳1枚の写真が掲載されている。この銀銭は1.48匁(5.55 グラム)で開基勝寳の半分程度の量目であるという。この銭文も「太平元寳」である。黒川古文化研究所に所蔵される1点は、「寳」字の「貝」内部が「○」になっており、また「大(太)」字第3画の跳ね方などからも8世紀に作成されたものとは考え難く、参考品とされている。 これとは別に、遼(契丹)の古銭にも「太平元寳」があり、この遼銭の「太平元寳」銀銭は前記の拓本と酷似しているため、発見された品が遼銭である可能性もある。また、この遼銭を使った「あの幻の銀銭が」的な詐欺取引にも注意が必要である。
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