独裁への道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 05:54 UTC 版)
「フルヘンシオ・バティスタ」の記事における「独裁への道」の解説
その後キューバでは1948年6月に総選挙が行われ、フロリダのデイトナビーチでカジノを経営していたバティスタは自由党から上院議員に立候補し当選、政界に復帰する。1950年には帰国し、単一行動党を結成する。 翌年には再度の大統領選出馬を表明するが、支持は得られなかった。これを受けて1952年3月10日に、バティスタは軍事クーデターを決行、カルロス・プリオ・ソカラス大統領に辞任を要求。プリオはメキシコ大使館に亡命し、バティスタが大統領に就任した。なお、このクーデターにより同年に行われた議会選挙は無効となった。 これ以降バティスタは、以前の亡命先のアメリカ政府とアメリカ企業、そしてカジノを経営していた時代のパートナーのマフィアのキューバ国内における利権の保護と引き換えに私欲を満たすようになり、キューバの農業や工業にアメリカ資本が流れ込み、アメリカ企業による事実上の搾取が大手を振って行われることになった。
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