特徴と批判
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『宋史』は他の正史と比較して、きわめて巻数が多く詳しいことが特徴である。北宋・南宋併せておよそ三百有余年であるが、ほぼ同年数存続した唐の正史(『旧唐書』200巻・『新唐書』225巻)に比べるとほぼ倍の巻数を有する。しかしその反面体裁に不備が多く、後世の史家たちの厳しい批判を受けざるを得なかった。これは以下の理由による。 まず元朝をどの王朝の後継王朝と考えるかで問題となった。元は南宋を滅ぼして北宋以来久しぶりに中国全土を支配した王朝であり、その後継王朝であるという考えが強かった。だが、元朝初期から仕える官僚には、北方王朝である遼・金に仕えた者の子孫が多く、自己の先祖の正統性を主張して『遼史』・『金史』を正史として編纂すべきだと言う意見や、『北史』・『南史』のようにどちらを正統とするかの結論は出さずに2種類の正史を編纂すべきだという意見もあり、更にモンゴル人高官の中には、そもそも被征服民族である漢民族の手法に則った正史の編纂そのものが不要であるとする考えもあった。元朝成立以来たびたび『宋史』編纂計画が立てられながらも、この段階においての意見調整の失敗で挫折してしまうことが多かった。 トクト(脱脱)は高官であったから名前を出しただけで実際の編纂の指揮を執ったのは欧陽玄であるが、その編纂期間はわずか3年にすぎず、かつ『遼史』・『金史』と同時並行で編纂が行われたために、史料の取捨選択や編纂者同士の摺り合わせが不十分となった。このため、同一の内容を取り上げているにもかかわらず、記述が相互に一致しないなどの問題点が指摘されている。 宋代は史料が格段に増えた。まず史学の発展に伴って史館・国史院が創設され、日々の出来事が詳しく記録されるようになった。次に、個人の伝記や碑文・墓誌・行状といったものが多く作られるようになり、印刷術の普及もあって豊富な史料を前にして元代の史家は持て余した観がある。
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特徴と批判
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「Marx-Engels-Werke」の記事における「特徴と批判」の解説
本書はすべてドイツ語として刊行されており、英語(『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』の記事など)・フランス語(『哲学の貧困』など)・その他の言語で発表された著作についてはドイツ語に翻訳されている。本書の特色として、マルクスとエンゲルスの二人の書簡を、基本的に年代別に収録したことがあげられる。旧MEGAでは、二人の往復書簡とそれ以外との書簡とは別扱いになっていたが、本書では同じ時期の手紙は同一の巻に収められている。 本書への評価としては、スターリン主義のソ連を正当化する立場から編集が行われたと指摘されることが多い。特にマルクスがロシアの外交政策を批判した『十八世紀の秘密外交史』が、公刊された著作であったにもかかわらず本書に収録されていないことについて、石堂清倫や不破哲三が批判している。石堂はみずから翻訳したものを三一書房から刊行している。
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