爆発事故の発生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 23:29 UTC 版)
1921年9月21日の朝7時29分と31分の2回にわたり、この工場で大爆発が起こった。サイロに貯蔵されている硫硝安混成肥料は、吸湿して固化しており、その一部を出荷するためにダイナマイトで発破して崩す作業をした際、硫硝安混成肥料が起爆してしまい、大惨事となったものである。この発破作業は以前から監視下で行われており、大爆発が起こったこの日までに約3万回、無事故で行われてきた。 目撃者の証言によれば、最初に小規模な爆発があり、続いて大規模な爆発が起きたとしている。この証言を裏付けるように、オッパウから約250km離れたシュトゥットガルトの地震観測記録では、引き続いて起こった、2回の顕著な振動が捉えられている。 爆心地には、長径125m、短径90m、深さ20mのクレーターが残された。クレーターが偏平なのは、サイロの地下部分が偏平であったことが理由である可能性がある。 この大爆発で、工場の従業員など509人が死亡し、160人が行方不明となった。工場と近くの1000戸の家屋のうち約70%が破壊され、1952人が負傷した。 オッパウから約22km離れたハイデルベルクでは最初2度の爆発による地震が感じられ、次いで82秒たって爆風が吹きつけて窓や戸を壊し、ガスタンク、石油タンクや川に浮かぶ艀などに被害を与え、爆音と地震は230km離れたバイロイトでも観測された。工場の立地点には巨大な爆発孔だけが残された。
※この「爆発事故の発生」の解説は、「オッパウ大爆発」の解説の一部です。
「爆発事故の発生」を含む「オッパウ大爆発」の記事については、「オッパウ大爆発」の概要を参照ください。
- 爆発事故の発生のページへのリンク