くまもと‐バンド【熊本バンド】
熊本バンド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/30 05:06 UTC 版)
熊本バンド(くまもとバンド)は、1876年(明治9年)1月30日に熊本県熊本市の花岡山で、熊本洋学校の生徒34名が、米国人教師L.L.ジェーンズの影響を受けて、自主的に奉教趣意書に署名してプロテスタント・キリスト教に改宗し、これを日本に広めようと盟約を交わした集団のこと[1]。直後に、熊本洋学校は閉校になり、その後新島襄の同志社英学校に移り、卒業後は同志社大学、日本組合基督教会の重鎮になり基礎を築いた。
注釈
出典
- ^ a b c 杉井 1998, p. 457
- ^ a b c d 岩本税、島津義昭、水野公寿、柳田快明『新≪トピックスで読む≫熊本の歴史』弦書房、2007年、200頁。ISBN 978-4-902116-85-4。
- ^ 渡瀬常吉 『海老名弾正先生』 龍吟社、1938年
- ^ 熊本YMCA p.10
- ^ a b 熊本YMCA p.11
- ^ 中村敏『日本キリスト教宣教史』いのちのことば社
- ^ 熊本YMCA p.14
- ^ 『日本キリスト教史年表』p.59
- ^ 同志社社史史料編集所 『同志社百年史』 資料編二、年表43頁。
- ^ 『日本キリスト教史年表』p.89
- ^ 岩村信二『古今東西デキゴトロジー』日本基督教団出版局、2001年、pp.95‐96
- ^ 熊本YMCA pp.11-12
- ^ ノーベル書房編集部 『旧制大学の青春』 ノーベル書房、1984年、180頁
- ^ 熊本YMCA p.13
- ^ 「近見真由子」を加える資料もある。熊本YMCA pp.13-14
- 1 熊本バンドとは
- 2 熊本バンドの概要
- 3 メンバー
- 4 脚注
熊本バンド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/22 09:23 UTC 版)
明治9年(1876年)1月30日の夜、花岡山山上の鐘かけ松の下に洋学校の生徒35人が集まり、「奉教趣意書」を読み上げ、キリスト教精神を新しい日本に宣布することを誓い合った。これは「熊本バンド」と呼ばれている。これに加盟した人々のなかには、本山村に在住していた金森のほか、下村孝太郎などがいた。同年8月、熊本洋学校卒業。
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熊本バンド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 17:05 UTC 版)
熊本洋学校に学び、明治9年(1876年)花岡山の誓約に加わり、L・L・ジェーンズから洗礼を受ける。その集団が後に熊本バンドと呼ばれるようになる。 その年の秋に同志社英学校余科(神学科)に移り、新島襄の薫陶を受ける。翌明治10年(1877年)に新島襄の勧めで上州安中へ夏期伝道に赴き、聖書講義を行った。評判が良く50-60人の青年が集まった。さらに、明治11年(1878年)にも安中伝道を行った。新島襄を迎えて30名の人が洗礼を受け、安中教会が誕生した。
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