無垢なアメリカの象徴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 04:37 UTC 版)
「シャーリー・テンプル」の記事における「無垢なアメリカの象徴」の解説
アメリカ国内外の名士が頻繁にシャーリーと顔を合わせた1930年代、フランクリン・ルーズヴェルト大統領と社会運動家のエレノア夫人はじめ、アインシュタインからH・G・ウェルズ、フーバーFBI長官まで、政治家や著名人と知り合う。ルーズヴェルト大統領就任式(1933年)では膝に乗り「ハッピーバースデートゥーユー」を歌って新しい大統領の誕生を祝っている。 人気がどれほど過熱したか伝えるエピソードは数え切れない。雑誌やニュース映画に毎号、大きく取り上げられ、旅先のボストンで熱を出して寝込んだときなど、新聞各紙の一面トップに大見出しが踊り、テレビでは相次ぐニュース速報。宿泊先のホテルは病状を案じる1万人以上もの大群衆に囲まれてしまう。また1935年12月に家族旅行でハワイを訪れたおりには、シャーリー・テンプルの姿を一目観ようと行く先々に押し寄せた人々が10万にも達したという。ハワイ到着予定の日、州内の公立学校が臨時休校になる騒ぎだった。彼女の言葉は頻繁に新聞の見出しに取り上げられ、「シャーリー・テンプル語る 喫煙は悪い習慣」、「シャーリー・テンプル ムッソリーニに占領地エチオピアから退去を命令」などと書き立てられた。 明るく健気、楽天的で清楚というイメージのシャーリーは国民の誇りであり、また大恐慌に直面する人々の心の支えとなる象徴的存在となった。作家のアン・エドワーズはほぼ同世代のエリザベス英国王女(現イギリス女王)と対比させ、シャーリーはある意味「アメリカの王女」であり「敬意をもってうやうやしく」扱われたと述べている。実際、1930年代以来「アメリカのプリンセス」と呼べる存在がいるとすればシャーリーをおいてほかにないと言われてきた。初めて表紙を飾った『ライフ』誌1938年7月11日号には既に「プリンセスさながらの独得の地位を自然に受け入れている」という記述がある。
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