滝沢氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 08:32 UTC 版)
由利郡滝沢(現・由利本荘市前郷字滝沢館)付近を中心に勢力があった武士団。先祖は由利氏と称する。家伝によると大中臣良平が源義家に従い由利半郡を賜ったのが始まりとされているが、清和源氏頼光流とする系図もあり、安倍氏説、中原氏説も存在するなど不明な点が多い。源頼朝により本領を安堵された由利維平の子の維久が和田合戦に連座し所領を没収されて以後、子孫が土着し滝沢氏と称したとされているが詳細は不明である。1343年(康永2年)9月には南朝に組みした由利兵庫介の名が史料に見える。1430年(永享2年)に政久の代に至り滝沢を領し名字としたとも伝えられている。終始矢島氏と敵対し、仁賀保氏と組んだ。豊臣秀吉により約2,200石の所領を安堵されたと推定されているが、関ヶ原後には最上氏に仕え 10,000石を与えられた。この間の経緯について、本来の惣領家に対し最上義光に仕えた分家筋の人物が家を簒奪したのではないかという見解がある。最上氏改易後は六郷氏に仕え本荘藩家老となり幕末に至った。後世、由利公正が子孫を称している。
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