海 (ドビュッシー)
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《『海』管弦楽のための3つの交響的素描》(うみ、フランス語: La Mer, trois esquisses symphoniques pour orchestre)[注 1]は、フランスの作曲家クロード・ドビュッシーが1903年から1905年にかけて作曲した管弦楽曲である。副題の付いた3つの楽章(第1楽章「海上の夜明けから真昼まで」-第2楽章「波の戯れ」-第3楽章「風と海との対話」(1. De l'aube à midi sur la mer-2. Jeux de vagues-3. Dialogue du vent et de la mer))で、演奏所要時間は23分~24分[3]。
作品は、楽譜を出版したデュラン社の経営者ジャック・デュラン(Jacques Durand)に献呈されている[3][注 2]。
注釈
- ^ 副題にあるesquisses symphoniques については「交響的素描」のほか、「交響的スケッチ」「交響的エスキス」などと訳される。フランス語の「エスキス」は絵画の用語で「完成前の段階」の作品を指し、その英語訳の「スケッチ」、日本語訳の「素描」とはニュアンスが若干異なる[1]。また、慣例的に《交響詩『海』》と呼ばれることもある[2]。
- ^ ドビュッシーは1905年7月18日に、今後作曲した作品を全てデュラン社から出版する専属契約を結んだ[4][5]。
- ^ 1905年7月18日に出版され[6]、いくつかの手直しを経て同年11月15日に発売された[7]。
- ^ 1893年、『ペレアスとメリザンド』をオペラ化したいというドビュッシーの申し出に対し、作者のメーテルリンクがモクレールに依頼してドビュッシー宅を訪問させた[14]。
- ^ より詳細な概要が沼野(1999)38-39頁に書かれている。
- ^ 1903年1月にはドビュッシーにレジオン・ド・ヌール五等勲章が授けられた[21]。
- ^ 「付随音楽『リア王』のスコアを書いた」、「オペラ『鐘楼の悪魔』が完成した」などの虚偽の情報が新聞で報道された[24]。
- ^ メサジェは『ペレアスとメリザンド』の初演を行った指揮者であり作曲家。
- ^ ドビュッシーがエンマに歌曲集『フランスの3つの歌』を献呈し、エンマが返礼として花を贈るなどのやり取りがあった[25]。
- ^ エンマは、ドビュッシーの生徒であったラウル・バルダックの母親であり、1903年にラウルがドビュッシーを自宅の夕食会に誘ったことが出会いのきっかけとなった[26]。
- ^ ドビュッシーがジャージー島で『喜びの島』を作曲したとされることがあるが、『喜びの島』は1年前に書かれた作品であり、誤解である[27]。
- ^ ディエップに滞在中の8月にドビュッシーはリリーに別れを求める手紙を送った。
- ^ この間、1905年1月3日には『フィガロ紙』が「リリーが2度目の自殺未遂を図った」という誤報を流している[31]。
- ^ エンマは同年5月4日に夫であったバルダックとの間に離婚が成立した[4]。
- ^ ドビュッシーとエンマが正式な夫婦となるのは1908年1月20日のことである[32]。
- ^ 8月にジャック・デュランに宛てた手紙に書かれている[34]。
- ^ 第3楽章も第1楽章と同様に、創作の途中で副題が変更となった。
- ^ ビシャンには妻リリーの実家がある。ドビュッシーは1903年7月10日から10月1日までこの地に滞在した[36]。
- ^ ドビュッシーは8歳の時、地中海に面したカンヌの伯母の家に預けられた経験があり、そこで見た海の見える景色について後年語っている[38]。また、ドビュッシーの父はドビュッシーを船乗りにしようと考えていた時期があり、自らも「作曲家でなければ船乗りになっていた」とインタビューに答えている[39]。
- ^ 『海』を作曲中にドビュッシーが実際の海に接したのはこれらの場所においてである。ジャージー島のグランド・ホテルからジャック・デュランに宛てた手紙には、ドビュッシーが実際の海に「茫然自失」していると記している[40]。
- ^ 1905年1月にデュラン宛に書いた手紙の中でそれぞれ報告されている[41]。
- ^ 全音スコアの解説には、『海』はイギリスのイーストボーンで完成したとあるが[42]、他の文献ではドビュッシーとエンマがイーストボーンで過ごすのはこれより後、1905年7月頃とされている[43][6]。
- ^ 作曲家の矢代秋雄は、『海』を堅固に構成された真に壮大な交響曲であると評し、ドビュッシーがこの作品に標題をつけた気持ちが分からないと述べている[47]。
- ^ 『海』と前後して、ヴァンサン・ダンディの交響曲第2番(1903年)、ギィ・ロパルツの交響曲第3番(1906年)など、セザール・フランクの交響曲(1888年)につながる作品が作曲されている。
- ^ 『海』を構想中の1903年に作曲されたピアノ小品『スケッチ帳より』(D'un cahier d'esquisses)は、自由な形式を持つ点やタイトル(esquisses)の相似という点で、『海』との関連が指摘されている[50]。
- ^ 管弦楽のための『映像』を作曲中の1907年9月3日付け、ジャック・デュラン宛の書簡より[53]。「律動づけられた時間と色彩」は、『遊戯』(1913年)をはじめとするドビュッシー後期の音楽を特徴づける観念である[49]。
- ^ ドビュッシーの研究者であるフランソワ・ルシュールは、「『海』の特殊性がスコアから読み取れるようになるには数世代を要した」と述べている[19]。
- ^ 初演当時、作曲家エリック・サティは第1楽章「海の夜明けから真昼まで」について「11時45分あたりの部分が特に良かった」という皮肉の混じったコメントをあえて行ったと言われる[57]。
- ^ 作曲家の柴田南雄は著作の中で、『海』が外界を描写した作品であることを否定する一方で「まったく描写的な印象を与える瞬間がないとは言えない[58]」とも述べている。
- ^ ドビュッシーは、ジャック・デュラン宛の1905年10月10日の書簡にて、シュヴァイヤールを「芸術家とは言いがたい人間[59]」と評している。
- ^ ドビュッシーは初演の5日前の段階でも第2楽章のチェックが終わっていなかった[59]。
- ^ 当日のプログラムは、ベートーヴェンの交響曲第7番、 ダンディの『フランスの山人の歌による交響曲』、ドビュッシーの『海』、ベルリオーズの『ローマの謝肉祭』であった[7]。
- ^ ラロの批評も、『海』を描写音楽として誤解したものだと言える[5]。
- ^ 後に『子供の領分』の第3曲となる「人形へのセレナーデ」である[60]。
- ^ ドビュッシーは、この翌月にロンドンで『海』と『牧神の午後への前奏曲』を指揮することがすでに決まっており、前年7月17日付けのデュラン宛ての手紙でそのことを報告している[64]。
- ^ 1905年の初演における演奏が芳しくなかったため、自作自演による再演の日を初演日時として扱う場合もあると言う[5]。
- ^ 第1楽章で最初に「循環主題」が提示される箇所は、記譜上はコーラングレとトランペットの音は同じであるが、実際に出る音はトランペットの方が1オクターブ高い。
- ^ パリ・オペラ座の管弦楽編成の慣習によるものである[70]。
- ^ 低音の「ロ」音の上に完全5度ずつ音を積み重ねることでこの4音が得られる[75]。
- ^ 音楽学者のアンドレ・シェフネルは、第2楽章の冒頭にはワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の「第2幕への前奏曲」の影響が見られると指摘している[81]。
- ^ 「絶えず更新される形式」と訳される場合もある[85]。
- ^ ただし、具体的な譜例や小節番号などは明示されていない。なお、バラケは、「風と海との対話」という副題が楽章の構造の二元性を示しているとも指摘している[86]。
- ^ 1906年2月6日に行われた演奏会において、オギュスト・ドラクロワとアルマン・プティの連弾により第3楽章が演奏されたが、おそらくその演奏をきっかけに、ドビュッシー自身は連弾ではほとんど演奏不可能であることを認めた[87]。
- ^ 日本の全音楽譜出版社のポケットスコアは1964年に発行されて以来、この1909年の版を底本としている[89]。
- ^ 旋律線を厚くし、ファゴット等の省略により低音を薄くした[88]。
- ^ このファンファーレ風の動機は、ドビュッシーの自筆譜による初版の簡略譜には書かれていないため、完成間近の段階で総譜に書きこまれていた可能性がある[90]。
- ^ 録音では、アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団の他、モントゥー指揮ボストン交響楽団、ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィルハーモニー、ミュンシュ指揮ボストン交響楽団、デュトワ指揮モントリオール交響楽団、カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、マイケル・ティルソン・トーマス指揮フィルハーモニア管弦楽団、アバド指揮ルツェルン祝祭管弦楽団 など。
- ^ このポケットスコア(ISMN 979-0-044-01142-1)には校訂報告がない。
- ^ アメリカのドーヴァー出版が1983年に出版したスコアや、日本楽譜出版社が2014年に出版したスコアも同様の処理が行われているが、いずれも底本や校訂報告はなされていない。
- ^ 『夢の引用』英語による副題「Say sea, take me!」はエミリー・ディキンソンの詩の一節である。
出典
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- ^ a b c マックス・ポンマー 寺本まり子訳 ポケットスコア『ドビュッシー:海』(はしがき)音楽之友社、1992年9月10日、6頁
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- ^ 次郎丸智希『武満徹作品における引用~『夢の引用-Say sea, take me!-』を中心に~』、お茶の水音楽論集第13号、2011年4月、NAID 120006323809
- ^ https://www.kintetsu.co.jp/senden/melody/
「海 (ドビュッシー)」の例文・使い方・用例・文例
- 海外旅行をする
- 海を漂流して
- 海上生活
- 海で泳ぐのがこわい
- 私は毎朝海岸沿いに犬を散歩させる
- 私は休暇は山か海のどちらかで過ごそうと提案した
- メキシコシティーは海抜2,240mにある
- 北海道は大変な雪だ
- 入り江,入海
- 私の書斎から見える海はとても美しい
- 地球の大気は海面付近が一番濃い
- 海岸には日光がさんさんと注いでいた
- 大海戦
- 大波が海岸に打ち寄せていた
- 彼女は海のそばに住んでいる
- 彼は自家用のヨットに乗り込むと世界一周の航海に出発した
- 航海日誌
- 海外旅行のブーム
- 潜水艦を無事に海底に着地させる
- 領海内で
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