海瑞罷官
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『海瑞罷官』(かいずいひかん、拼音: 、「海瑞の罷免」)は、呉晗が1961年に発表した京劇戯曲。
- ^ a b c d e f g h 瀬戸宏 2015, p. 260-261
- ^ a b c d 『文化大革命と現代中国』, p. 34-35
- ^ 瀬戸宏 2015, p. 268-271.
- ^ 瀬戸宏 2015, p. 262,271.
- ^ <404 not found> [リンク切れ]
- ^ a b c d e 瀬戸宏 2015, p. 265-267
- ^ 自留地〔農民が自分で自由に耕作できる土地〕、自由市場〔自留地などの産物を自由に売買できる市場〕、自負盈毀〔黒字赤字の自己責任〕、包産到戸〔農業生産の各戸請負制〕
- ^ a b 『文化大革命と現代中国』, p. 35-36
- ^ 『文化大革命と現代中国』, p. 37-38.
- ^ a b 『文化大革命と現代中国』, p. 40-44
海瑞罷官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 20:40 UTC 版)
1961年、時の北京副市長で歴史家の呉晗は歴史劇『海瑞罷官』を発表した。海瑞が悪徳地方官僚を懲罰し、冤罪を被った庶民を救済し(平冤獄)、悪徳官僚が農民から没収した土地を農民に返還した(退田)ので、地方官僚の陰謀により罷免されるという内容の京劇戯曲である。それからしばらく経った1965年に上海の新聞文匯報に姚文元の「新編歴史劇『海瑞罷官』を評す」という評論文が発表された。『海瑞罷官』は海瑞の平冤獄や退田にこと寄せて、反革命分子などの名誉回復や集団化された農地の農民への再分配・人民公社解体を密かに訴えている、というものである。もちろん強引な曲解に過ぎない評論文だが、その後毛沢東によってさらに強引に『海瑞罷官』と彭徳懐解任が結びつけられた。日増しに呉晗への批判が強まり、1966年に呉晗及び廖沫沙、鄧拓の「三家村グループ」が反革命分子のレッテルを貼られ失脚、投獄されて呉晗、鄧拓は非業の最期を遂げた。 この『海瑞罷官』は結果的に文化大革命の発火点となり、評論文を書いた姚文元は四人組の一人として反革命分子の摘発に積極的に乗り出していくこととなった。この論文は、それ以前からこの戯曲への批判を主張していた江青が、張春橋と共謀して秘密裏に執筆させたものだった。また、康生は『海瑞罷官』を明確に廬山会議や彭徳懐と関連があると1964年に指摘し、毛沢東にもこれを関連付けるよう示唆したという。
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