派閥の通称
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 00:17 UTC 版)
報道機関における派閥の呼称は、各派の会長職にある議員の苗字から、通称で「○○派」と呼ばれる。この通称については各社の判断で決定されており、場合によっては各社において違った呼び方をすることがある。派内に次期会長職を引き継ぐ者がいない場合は前会長の苗字から、通称で「旧○○派」と呼ばれる。 ほかに、自由民主党則で定められているわけではないものの、内閣総理大臣や自由民主党執行部に就いた者はその在任期間は派閥を離脱することが慣例となっており、その間は派閥の最高幹部に会長格ポストを預けることが多い。この場合は復帰を視野に入れ、派閥の呼称における変更は行われない。会長職から離れる例が短期間に留まる場合も同様である。以下に例を挙げる。 中曽根康弘の総裁就任による桜内義雄の中曽根派会長就任 竹下登の総裁就任による金丸信の竹下派会長就任 小渕恵三の総裁就任による綿貫民輔の小渕派会長就任 森喜朗の総裁就任による小泉純一郎の森派会長就任 ただし、高村正彦の副総裁就任により高村派から大島派へ変更された例、伊吹文明の衆議院議長就任により伊吹派から二階派へ変更された例、大島理森の衆議院議長就任により大島派から山東派へ変更された例では、会長への復帰はなされないものと考えられており、派閥の呼称は変更されている。なお、河野派会長の河野洋平が衆議院議長に就任した例では、引退していた相澤英之が座長のままで派閥を取り仕切り、会長は依然河野洋平のままだったほか、麻生派会長の麻生太郎が総裁に就任した例では、中馬弘毅が座長のままで派閥を取り仕切り、会長は依然麻生太郎のままだった。 在任期間を終えてもそのまま派閥に復帰しなかった例としては、小泉純一郎総裁・石破茂政務調査会長・谷垣禎一総裁などが挙げられる。 特殊な例としては、田中派が挙げられる。田中角栄は1976年にロッキード事件で逮捕されて自由民主党を離党し、田中派も脱会した。田中角栄自身は田中派の会長に就任したことはなく(発足時から西村英一が会長)、逮捕後も西村英一・二階堂進が会長を務めたものの、報道機関における派閥の呼称は「田中派」だった。実際は議員への政治資金や運営の全権を田中角栄が担っており、会長格に相当する人物であることが明らかだったためである。一方で、田中派が1987年に竹下派と二階堂派に分裂した例では、二階堂側が引き続き木曜クラブ(田中派の正式名称)を名乗っていたものの、報道機関では分裂を境に二階堂派と呼ぶようになった(もっとも、この時期田中角栄は脳梗塞の後遺症によりほとんど政治活動をしていなかった)。
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