河口港
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 08:02 UTC 版)
片瀬の地名は早くも奈良時代、正倉院に残る庸布墨書に「方瀬(片瀬)郷の郷戸主大伴首麻呂,調庸布一端を朝廷に貢進」とあり、少なくとも50戸以上の郷戸主のいる集落が形成されていたことが判る。この集落は恐らく周辺の鵠沼・辻堂地区の集落と異なり、単なる半農半漁村ではなく、片瀬川河口という地の利を生かした河口港を擁し、港で働く人々が集住する集落だったことが想像される。これは、片瀬の集落名に「上町」「中町」「東リ町」「台町」といった町場を連想する人為地名が多く、集落形態も家々が密集する形が古地図からも読み取れるからである。境川本流は藤沢宿付近で瀬が現れ、高瀬舟でも航行が困難だったと思われるが、支流の柏尾川は本流よりも感潮河川区間が長く、深沢村から大船あたりまで航行できた。江戸時代の記録には年貢米の積み出し港として片瀬河岸の名があり、高瀬舟で集荷された川筋の積み荷がここで二百石船などの外洋船に積み換えられた。鉄道の時代になるとその役割は終わった。 商港としての片瀬は、とうの昔に消えたわけだが、現在も片瀬川河口にシラス漁などの漁船や貸切、乗合の釣船、プレジャーボートなど、おびただしい舟が見られる。プレジャーボートは河口から新屋敷橋付近まで両岸に不法係留されており、2003年(平成15年)4月、藤沢市はこれを暫定的に認めることになった。かつては片瀬江ノ島駅前で貸しボート屋も営業していた。2008年(平成20年)4月、片瀬漁港改修工事が完成し、市場設備を備えた本格的な漁港として、朝市や「漁師の学校」の開催など、市民との結びつきも図られている。
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