河口良庵
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享保12年(1629年) - 貞享4年(1687年)。諱は春益、号は良庵。 肥前国松浦に生まれる。父の佐太夫は、伊予国大洲から出て肥前松浦藩医となった人物である。松浦藩を浪人した父に従い、長崎で数年居住し、唐津藩土井家の藩医となる。 慶安2年(1649年)江戸参府の折に江戸幕府の第3代将軍・徳川家光から直々に、オランダ商館医・カスパル・シャムベルゲルの医学知識の全てを吸収するように命じられ、最新の西洋流外科治療法(カスパル流外科)を教授され、オランダ通訳・猪股伝兵衛に伝える。この初期のオランダ流外科カスパル流ともいうべきもさきの南蛮流外科との間には余り区別はなかったとされる。カスバル流外科としていわゆる紅毛流の代表的なものである。また、シャムベルゲル関連の報告資料を入手した良庵は、その後の出島商館医にも高い関心を寄せる。 その後京都に住居。弟子に中嶋善益。著書も非常に多く残しており、数多くがのものが慶應義塾大学医学部関連の図書に所蔵されている。
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