正式な終戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 09:07 UTC 版)
戦争状態は正式には休戦協定が締結された後も7か月続き、ドイツが1919年6月28日にヴェルサイユ条約に署名するまで続いた。大衆が支持したにもかかわらず、アメリカ合衆国上院は条約を批准せず、1921年7月2日にウォレン・ハーディング大統領がノックス=ポーター決議(英語版)に署名したことで、アメリカはようやく戦争から手を引いた。イギリスとその植民地については1918年の戦争終結定義法(英語版)の条項に基づき、1920年1月10日にドイツとの戦争状態を、7月16日にオーストリアとの戦争状態を、8月9日にブルガリアとの戦争状態を、1921年7月26日にハンガリーとの戦争状態を、1924年8月6日にトルコとの戦争状態を終結させた。 ヴェルサイユ条約が締結された後、オーストリア、ハンガリー、ブルガリア、オスマン帝国との講和条約が締結された。しかし、オスマン帝国との講和交渉をめぐって紛争が起き、1923年7月24日のローザンヌ条約でようやく終結を見た。 戦争祈念施設の一部は、終戦の日をヴェルサイユ条約が締結された日と定めた。この日は外国に派遣された多くの兵士がようやく本国に復員した日であったが、多くの戦争記念施設は終戦の日を休戦協定が締結された1918年11月11日とした。法的な戦争状態は最後の講和条約であるローザンヌ条約が締結されるまで続いた。同条約に基づき、連合国軍は1923年8月23日にコンスタンティノープルから撤退した。
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