欧州議会議長 ― 欧州統合の推進役
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「シモーヌ・ヴェイユ (政治家)」の記事における「欧州議会議長 ― 欧州統合の推進役」の解説
1979年7月、直接選挙による初めての欧州議会議員選挙が行われ、フランス民主連合の候補者名簿第1位のシモーヌ・ヴェイユが欧州議会議長に選出された。欧州議会初のフランス人女性議長であった。以後、内政を離れ、1982年1月まで欧州統合の推進役を担うことになった。母イヴォンヌが、欧州統合だけが新たな戦争を防ぐことができると考えていただけに、シモーヌ・ヴェイユにとって最も重要な挑戦であった。さらに、欧州議会議員としては1993年3月まで、欧州委員会法務局局長を務めるなどの活動を展開し、以後も引き続き、バルカン半島のための国際委員会、EU市民の自由な移動、表現の自由のための欧州基金、欧州法学生協会、科学文化欧州財団などの活動に取り組んだ。女性問題についても、社会党出身の女性権利大臣(1981-1986)イヴェット・ルーディの提案を受けて、1979年に欧州議会の女性の権利・ジェンダー平等委員会(フランス語版)(FEMM)を設置した。 1981年、欧州統合の理念に適う功績を挙げた人物に与えられるカール大帝賞を受賞した。 なお、イヴェット・ルーディとはこの後も「候補者男女同数法」(パリテ法; 2000年施行) の成立に向けた委員会設置などの活動を共にしている。 1988年、フランソワ・ミッテランが大統領選挙で再選を果たした後に行われたフランス議会選挙では、第一回投票結果を受けて左派(社会党)を当選させないために、一部の右派が極右「国民戦線」と(決選投票前の)候補取り下げに関する合意を交わし、特に共和国連合のシャルル・パスクワは国民戦線と同じ懸念を抱き、同じ価値観を有するとすら語ったが、シモーヌ・ヴェイユは、「国民戦線を支持するくらいなら、左派に投票する」と、これに真っ向から反対した。
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