横浜駅西口‐進出断念とライバルの登場
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「野澤屋」の記事における「横浜駅西口‐進出断念とライバルの登場」の解説
1952年(昭和27年)にスタンダード石油の油槽所跡地を買収して横浜駅西口の発展を目指した相模鉄道は有力な百貨店の招致を目指して最初に横浜を代表する野澤屋に進出を依頼したが、戦後の接収の影響による資金不足を理由に出店を断った。 他の百貨店も進出に難色を示し、最終的に高島屋が百貨店そのものではなく高島屋ストアという形で1956年(昭和31年)4月2日に専門店街横浜駅名品街と共に開業したが、売上が好調だったため、すぐに百貨店化することになり、1959年(昭和34年)10月1日に横浜高島屋が開店することになった。 この横浜高島屋は順調に売上を伸ばし、開業2年後の1961年(昭和36年)10月1日は早くも増床を行い、1965年(昭和40年)には売場面積では21,540m2と野澤屋の17,613m2の約1.2倍でありながら、売上高では139.0億円で野澤屋の52.5億円の2.6倍を超えて横浜における圧倒的な地域一番店となり、進出を断念したことによって圧倒的な競争相手を生み出す結果と成った。 また、1964年(昭和39年)にダイヤモンド地下街(現:相鉄ジョイナス)、1973年(昭和48年)11月23日の三越横浜店、同年11月20日に相鉄ジョイナス、1985年(昭和60年)9月には東口に日本一の売り場面積を持つそごうが開店するなど高島屋以外にも横浜駅周辺に百貨店などの商業施設の集積が進み、野澤屋のある伊勢佐木町は集客力を奪われていくことになった。
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