権利の剥奪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/24 00:25 UTC 版)
「ノースカロライナ州の歴史」の記事における「権利の剥奪」の解説
他の南部州と同様に、白人民主党は権力を回復した後で、白人優越主義を再確立するために動いた。それでも、1880年代の地方の役所では黒人が過半数を占める地区から選ばれた黒人の役職者数がピークを迎えた。1894年、農業問題が続いた数年の後で、共和党と人民党の異人種間連衡が成立し、州議会の多数派となった。白人民主党は連衡の破壊を工作し、黒人と貧乏白人の投票権を減らした。 1896年、選挙権登録をより複雑なものにし、選挙人登録簿の黒人を減らすようにした法案を成立させた。1898年、黒人に対する暴力、だましおよび脅しによって彩られた選挙によって、白人民主党は再び議会での勢力を回復した。続いて、1900年には参政権を修正した新憲法を成立させた。その条項では人頭税、読み書き能力試験および同様な仕組みを導入し、1904年までに黒人の有権者を完璧に減らし、同様に多くの貧乏白人の有権者も減らした。当時の報告で、75,000人の黒人男性が投票権を失ったと見積もられている 。1900年、黒人人口は630,207人であり、州内人口の33%に相当した。 議会を支配した白人民主党はジム・クロウ法を通し、公共施設や輸送機関での人種分離を定めた。アフリカ系アメリカ人が再び選挙権を行使し、その他市民としての権利を完全に行使できるようになるまでに60年間以上を要した。黒人は選挙権を無くすことで、世紀の変わり目における政府の活動の場であった地方役職、すなわち保安官、治安判事、陪審員、郡政委員および教育委員会委員に就く機会を全て失った。黒人の参政権を抑圧し、白人優位を確立したことで、人々は直ぐに州内で繁栄していた黒人中流階級の記憶と知識を無くしてしまった。
※この「権利の剥奪」の解説は、「ノースカロライナ州の歴史」の解説の一部です。
「権利の剥奪」を含む「ノースカロライナ州の歴史」の記事については、「ノースカロライナ州の歴史」の概要を参照ください。
- 権利の剥奪のページへのリンク