槍鉋(やりがんな)の復元
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 15:21 UTC 版)
「西岡常一」の記事における「槍鉋(やりがんな)の復元」の解説
西岡の功績の一つに古代の大工道具「槍鉋(やりがんな)」の復元がある。焼けた法隆寺金堂の再建の際に飛鳥時代の柱の復元を目指した西岡は、回廊や中門の柱の柔らかな手触りに注目し、その再現は、従来の台鉋や手斧ではなく創建当時に使用されていた槍鉋であれば可能だと気付いた。しかし、槍鉋は15〜16世紀に使用が途絶え、実物もなければ使用方法も分からない幻の道具であった。 そこでまず「古墳などから出土した槍鉋の資料が全国から集められた。」が、思うようなものはできず、やむなく「正倉院にあった小さな槍鉋を元に再現したんやが鉄が悪うて切れんのですわ。」そこで法隆寺の飛鳥時代の古釘を材料に堺の刀匠水野正範に制作を依頼、こうして槍鉋が完成した。 完成した槍鉋は刃の色から違っており、西岡も感服するほどの出来栄えであった。西岡は絵巻物などを研究し3年間の試行錯誤の末、身体を60度に傾けて腹部に力を入れ一気に引くやり方を身に付け、これを「ヘソで削れ」と表現している。その切り口は「スプーンで切り取ったような跡になるが、そこに、あたたかみ、ぬくもりがかもし出される。」独自のものであった。使い方が上達すると鉋屑が長く巻いたきれいなものになり、あまりの出来栄えに、西岡自身「家に持って帰ってしばらく吊っておいたことがあるんですけどね。」と述べていた。また見学者が屑を記念に持ち帰ったこともあった。
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