業績悪化・スカリーの退任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 00:36 UTC 版)
「Appleの歴史」の記事における「業績悪化・スカリーの退任」の解説
1991年10月、Appleは新型ポータブルコンピュータ「PowerBook」を発表し、現代のほぼ全てのノートパソコンの原型となるデザインを示した。失敗に終わったMacintosh Portableとは異なり、軽量なPowerBookは発売後1年で40万台以上を売り上げる大成功を収め、約10億ドルの収入をAppleにもたらした。同年には大幅アップグレードされたMacintosh用オペレーティングシステム (OS) である「System 7」も発表され、インタフェースのカラー化が実現されるなど、その後のMac OSの原型となった。他方、Appleの上層部は継続的な成功を収めているApple IIシリーズについて、製造コストが高くつく上にMacintoshから売り上げを奪っていると考えていた。1993年11月15日、Apple IIe(英語版)の販売が打ち切られ、16年以上続いたApple IIシリーズはAppleの製品ラインナップから消滅した。 この時期、マイクロソフトは安価なPC/AT互換機向けのOSとして「Microsoft Windows」を供給することで市場シェアを伸ばし続けていた。1988年、Appleはマイクロソフトが自社のGUIを「Windows 2.0」に盗用したとして、アップルコンピュータ対マイクロソフト訴訟(英語版)を起こした。この法廷闘争は1995年2月まで約7年間続いたが、最終的にAppleの訴えは退けられた。 Windowsを搭載するPCとの競争に勝利するため、Appleは価格帯や仕様の異なる無数のMacintosh製品を展開し、幅広い顧客のニーズを満たそうと試みた。1991年から1993年にかけ、AppleはMacintoshに3つのブランドを新設し、ハイエンドの「Macintosh Quadra」、ミッドレンジの「Macintosh Centris(英語版)」、ローコストの「Macintosh Performa」を立ち上げた。しかし、仕様の異なるモデルが乱立する状況は一般の消費者を混乱させることとなり、Macintoshの売り上げに悪影響を及ぼした。スカリーはAppleにはMacintoshに代わる画期的な新製品が必要と考えており、携帯情報端末「Apple Newton」の開発プロジェクトを1990年頃から全面的にサポートした。ニュートンの開発やマーケティングには約5億ドルが投じられたが、1993年に実際に発売されると販売は低調であり、4年半後には生産終了となった。 1993年の第3四半期、Appleは過去最悪となる1億8,830万ドルの損失を計上した。業績悪化が表面化する中、ニュートンの失敗や政治活動への傾倒によって取締役会からの信用を失っていたスカリーは、1993年6月18日をもってCEOを退任させられ、COOを務めていたスピンドラーが新CEOに就任した。CEO退任後もスカリーは会長職にとどまったが、1993年10月にはAppleを去って他社のCEOに就任した。
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