植民地主義の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 14:10 UTC 版)
ミケーネ文明はハインリヒ・シュリーマンによって様々な遺物が発見されたが、当時、植民地主義の時代であったため意図的に改竄された可能性がある。クノッソス宮殿はウィンザー城をモデルとして復元され、ミケーネで発見されたアガメムノンのマスクもカイゼル髭が付け加えられた。 これらの行為は当時、植民地であった西アジアよりもエーゲ海先史文明が高度であり、植民地の宗主国である国々にとってふさわしい文明である必要があったために行われたもので、西アジアで発見された高度な文明と専制君主らに対抗するものであった。 しかし、この専制君主のイメージは、古典古代の文明の基盤が水平的な市民社会であるとしていた古代ギリシア史研究家の間ではとうてい受け入れられるものではなかった。そのため、エーゲ海先史文明と古代ギリシア文明との間に存在していた『暗黒時代』が利用されていった。 この暗黒時代を利用することで、エーゲ海先史文明は『前1200年のカタストロフ』によって崩壊、白紙となった上で暗黒時代に古代ギリシア文明の基礎が新たに築かれたとしてこの矛盾は解消された。しかし、線文字Bが解読されたことで、その矛盾は再び闇から蘇ることになった。 エーゲ海先史文明が古典期ギリシアの直接祖先ではないという暗黙の了解があったため、線文字Bはギリシア語ではないと考える研究者が大半であったが、1952年、マイケル・ヴェントリスによって解読されると線文字Bはギリシア語を表す文字であったことが判明した。1956年、ヴェントリスとジョン・チャドウィックらが線文字Bのテキストを集成した出版物を刊行、1963年にはL・R・パーマーらが新たな粘土板の解釈を提示、1968年には大田秀通による研究が刊行されるとミケーネ文明の研究は躍進することになった。
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