本朝武芸小伝 (正徳4年(1714年))の記述
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「善鬼」の記事における「本朝武芸小伝 (正徳4年(1714年))の記述」の解説
(典膳が一刀斎に弟子入りして共に廻国修行にでたときに)一刀斎には長年従っていた善鬼という弟子がいた。善鬼の剣は精妙を得たが、一刀斎は常々善鬼を殺したいと考えていた。ある時一刀斎は典膳を呼んで「善鬼を殺せ。ただし今のお前の技では奴に及ばないので、この太刀を教えよう」と言って内々に秘術夢想剣を伝授した。一行が下総国小金原近辺を通りがかった際に、一刀斎は典膳と善鬼にむかって「自分は少年の頃からこの道(剣術)を志し、諸国を廻ったが自分に勝る者は殆どいなかった。今自分の望みは達成されたので、あとはこの瓶割刀を(後継者の証として)お前達に託そうと思う。しかしお前達二人に対して刀は一本しかない。よって二人の優劣をこの広野で競え。勝った者に瓶割刀を授ける。」と言った。善鬼と典膳は大いに喜んで刀を抜き、勝負が決して典膳が善鬼を斬殺した。一刀斎は生き残った典膳に瓶割刀を授けて別れを告げ、以後の消息は不明という。相馬郡には今も善鬼の塚が残り、世人はこれを善鬼松と呼んでいる。
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