朝鮮共産党満洲総局
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 15:43 UTC 版)
詳細は「抗日パルチザン」を参照 1926年5月、吉林省寧安県寧古塔(現:黒竜江省牡丹江市寧安)において朝鮮共産党満洲総局(責任秘書:曺奉岩)が設立された。党は満洲在住朝鮮人の運動を指導し、農民運動・青年運動が活発化・左傾化した。朝鮮人の多く住む間島に領事館を置き、在外朝鮮人の抗日運動の取り締まりを行っていた日本の官憲は、「間島共産党」の動向を警戒し、1927年1月、1928年5月、1930年4月の三次にわたって大規模な弾圧を行った。 1930年には間島共産党暴動が勃発した。朝鮮共産党満洲総局は1930年に解散し、その多くは中国共産党満州省委員会に加入する。 当時満洲で左派系の朝鮮人軍事組織に参加していた金日成も当時は朝鮮共産党に入党していなかったが、1932年ないし1933年に中国共産党に入党し、同党指導下の東北抗日聯軍で頭角をあらわすことになる。
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