朝廷での出世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:23 UTC 版)
文武天皇4年(700年)に 河内国若江郡(現在の大阪府八尾市)に生まれた。若年の頃に法相宗の高僧・義淵の弟子となり、良弁から梵語(サンスクリット語)を学んだ。禅に通じていたことで知られており、これにより内道場(宮中の仏殿)に入ることを許され、禅師に列せられた。 天平宝字5年(761年)平城宮改修のために都を一時的に近江国保良宮に移した際、病気を患った孝謙上皇(後の称徳天皇)の傍に侍して看病して以来、その寵を受けることとなった。淳仁天皇は常にこれに対して意見を述べたため、孝謙上皇と淳仁天皇とは相容れない関係となった。 天平宝字7年(763年)、慈訓に代わって少僧都に任じられ、翌天平宝字8年(764年)には藤原仲麻呂の乱で太政大臣の藤原仲麻呂が誅されたため、道鏡が太政大臣禅師に任ぜられた。翌年には法王となり、仏教の理念に基づいた政策を推進した。 道鏡の後ろ盾を受け、弟の浄人が8年間で従二位・大納言にまで昇進するなど、一門で五位以上の者は10人に達した。これに加えて、道鏡が僧侶でありながら政務に参加することに対する反感もあり、藤原氏らの不満が高まった。
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