月の地図と地形への命名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/15 07:15 UTC 版)
最初に望遠鏡で観測された月の地形に命名をおこなったのは1645年のベルギーのミヒャエル・ラングレンであり、月のクレータや山や山地にカトリックの聖人などの名をつけ、小クレーターに過去や当時の天文学者や数学者などの学者の名をつけた。1645年ヨハネス・ヘヴェリウスも月面図を作成したが、ヘベリウスはラングレンの命名とは異なり、地球にある地名を命名した。 現在まで続く月の地形に対する命名の仕方を与えたのは北イタリアのイエズス会の司祭、学者のリッチョーリある。1651年の著書 Almagestum Novum は反宗教革命の視点にたつもので天動説の立場にたつものであったが、リッチョーリの命名法は現在もいきている。リッチョーリの著書の月面図は、彼の同僚のフランチェスコ・グリマルディによって描かれたものである。、月が地球の気象に影響を与えるという、当時の考えから、月の海に気象や出来事のラテン名を名付けた。危機の海(Mare Crisium)、晴れの海 (Mare Serenitatis)、豊かの海 (Mare Fecunditatis)、雨の海(Mare Imbrium)、 雲の海 (Mare Nubium)、氷の海(Mare Frigoris)などの名は現在も使われている。
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