暴動の発生と議会機能の停止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 10:20 UTC 版)
「5月13日事件」の記事における「暴動の発生と議会機能の停止」の解説
1969年総選挙の結果、UMNO-MCA-MICを中心とする国民戦線政権は大きく議席を減ずることとなる。1964年総選挙時点での各党の議席数から1969年総選挙時点での議席数の推移は以下の通りとなる。総定員は、104議席。 与党(国民戦線) 89→67 UMNO 59→51 MCA 27→14 MIC 3→2 野党 グラカン(マレーシア民政運動) 8 ※1964年総選挙時は未結成 人民進歩党(英語版)(PPP) 2→4 全マレーシア・イスラーム党(PAS) 9→12 民主行動党(DAP) 1→13 グラカン、DAP、PPPといった華人勢力が大きく勢力を伸ばす一方、今まで華人勢力の受け皿となっていたMCAが大きく議席数を減らした。華人系住民は意気軒昂となり、野党勝利の行進が行われた。この動きに対抗する形で、UMNOを支持したマレー人青年が行進を行った。その両者の衝突が首都クアラルンプールで起き、流血の惨事になった。これが5月13日事件である。 この結果、UMNO内における指導力が大幅に低下したラーマンは1970年9月に首相を辞任、アブドゥル・ラザク副首相が第2代首相に昇格した。この政変のため、マレーシアの議会機能は1971年2月まで21カ月間、停止した。
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