暗号文書の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/29 07:06 UTC 版)
モリスはビールの依頼通りに箱を10年間保管したが、ビールやその仲間が現れることはなく、1832年6月以降に届くはずの手がかりも送られてこなかった。1845年になってモリスは箱を開封し、3枚の暗号化された文書と、1枚のモリス宛の手紙を取り出した。 モリス宛の手紙によれば、1818年3月、サンタフェ(当時はメキシコ領)の街から北に向かってバッファロー狩りを行っていたビール一行は、サンタフェの北250ないし300マイルほどにある渓谷に野営をした際、地面に埋もれていた金を発見した。ビール達は直ちに採掘を行い、18ヵ月の間掘り続けて、大量の金と周囲からさらに発見した銀を得た。そしてビール達はリンチバーグにやってきて財宝を隠した。最初にモリスとビールが知り合ったのはこの時である。その後ビールは仲間と合流して再び採掘を続け、不測の事態に備えて、信用できる人物に財宝の分け前を定めた文書を預かってもらうこととした。その人物としてビールに選ばれたのがモリスであった。3枚の暗号文書には、それぞれ財宝の隠し場所、財宝の内容、財宝の分け前を受け取るべき人物のリストが書かれているとのことであった。 これを読んだモリスは、財宝を探し出してそれを本来受け取るべき人々に渡そうと考え、暗号文の解読に着手した。しかし「1832年6月以降に届く」はずの解読の手がかりとなるものが結局送られてこなかったため、17年を費やしても暗号を解読することができなかった。 1862年、84歳になったモリスは、暗号解読の望みを将来に繋げるため、一人の友人に事情を打ち明けた。この友人が1885年に小冊子を発行することになる人物である。この人物は小冊子発行時、社会に与える影響が大きいことや問い合わせに忙殺されることを嫌って名前を伏せたため氏名不詳である。以下この人物をサイモン・シン著『暗号解読』に倣って「筆者」とする。
※この「暗号文書の発見」の解説は、「ビール暗号」の解説の一部です。
「暗号文書の発見」を含む「ビール暗号」の記事については、「ビール暗号」の概要を参照ください。
- 暗号文書の発見のページへのリンク