景勝地として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 05:06 UTC 版)
一帯は断崖絶壁が連続し、その間に結晶片岩の奇岩、巨岩が露出する。青から緑色の岩肌と白色の模様、それに新緑や紅葉の木々が水面に映る渓谷美は江戸時代の史料にもよく知られたものとして登場する。明治5年(1872年)に太政官の命で編纂された『上野国郡村誌』では「郡中の一奇観」と評されている。 江戸時代中期の史料には観光客が訪れていたことも記録されている。地元の村々は観光客の案内や宿の提供によって得られる収入に助けられていて、その利権を巡って村同士の争論もたびたび起きている。 江戸時代には、「三波石四八石」といって、48の名石の1つ1つに固有の名前がつけられていた。この石の名前などは時代や史料によって異なっており、寛保2年(1742年)には洪水が起きて名石が「浦島が釣船」「達磨石」など25しか確認できなくなっていることが記録されている。その後、天保3年(1832年)の史料には新たに48の名石の名前が列記されている。現代では、峡谷に架かる県道33号登仙橋付近の「一番石」から、下久保ダム排水口ちかくにある「阿弥陀石」までを48石として、1つ1つに名前がつけられている。
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