晩年の成功と最期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/01 03:04 UTC 版)
「ゴットロープ・ハインリヒ・フォン・トートレーベン」の記事における「晩年の成功と最期」の解説
トルコとの戦争の間、トートレーベンはグルジアで精力的に戦い、功を挙げた。トルコ側の要塞を次々と陥落させ、イメレティ侯領の都、クタイシを占領したのである。そして一万二千名のグルジア勢を破った後、トートレーベンは港湾都市ポティの要塞を攻囲した。同時に彼は、ロシアの同盟者であるグルジア諸侯の争いに巻き込まれる。結局エカチェリーナ2世は、彼をスホーティン(Suchotin)少将と交代させざるを得なくなった。トートレーベンとグルジア諸侯との対立が過熱し、同地におけるロシアの影響力に深刻な打撃を与えかねなかったからである。 再びサンクトペテルブルクに戻ると、トートレーベン伯は女帝自らの手で1771年9月10日、聖アレクサドル・ネフスキー勲章を賜り、中将に昇進した。グルジア遠征の後、彼はリトアニアでコサックおよびバシキール人から構成される不正規部隊の指揮を執る。そして1772年の末、彼は師団長としてポーランドに配された。後にトートレーベンはワルシャワで病死し、軍人としての礼を尽くされて墓地へ運ばれた。埋葬された場所は、同地の高級住宅街にある、正教会の礼拝堂である。
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